2025年12月、サッカー界に衝撃的なニュースが駆け巡った。無所属の状態が続いていた日本代表DF冨安健洋が、オランダの名門アヤックスと基本合意に達したというのである。オランダのメディア『Voetbal International』が報じたこのニュースは、瞬く間に世界中のサッカーファンの注目を集めた。27歳の冨安にとって、これは単なる移籍ではない。度重なる怪我との闘い、無所属という孤独な日々を経て、再び世界の舞台に立つための重要な一歩である。そして何より、2026年W杯北中米大会に向けた日本代表復帰への切符を手にする可能性が見えてきたのだ。
幼少期からプロ入り前まで──運命のランニングマシーン
冨安健洋は1998年11月5日、福岡県福岡市博多区に生まれた。身長188cm、体重90kg。両足を器用に使いこなす万能型ディフェンダーとして知られる冨安だが、そのサッカー人生の始まりは、実に偶然の産物であった。
2人の姉の影響で、当初は水泳を始める予定であった。しかし、運命は思わぬ形で彼をサッカーの道へと導くことになる。祖母の家のランニングマシーンで遊んでいた際に転倒し、顎を負傷したのである。この怪我により、水泳を始めることを断念せざるを得なくなった。もしあの日、ランニングマシーンで転倒していなければ、日本サッカー界は稀代のディフェンダーを失っていたかもしれない。
その後、小学生の頃、少年サッカーチーム・三筑キッカーズの総監督が、目を見張るスピードで走っている冨安の姿を偶然目撃した。「あの子を何とか(三筑)キッカーズに入れてくれん?」と、冨安の知り合いの父母に依頼したという。この総監督の慧眼が、冨安のサッカー人生を決定づけた。もしあの日、総監督が冨安の走る姿を目撃していなければ、日本代表の守備の要は誕生していなかったかもしれない。
11歳の時、2009年に開校したバルセロナスクール福岡校のコーチに勧められ入会した冨安は、小学6年生でナショナルトレセンに選出され、地元では広く知られる存在となった。バルセロナスクール福岡校のコーチは冨安をFCバルセロナに推薦したが、小学生をスペインに連れていくのは難しく、話は立ち消えとなった。しかし、のちに18歳でアビスパ福岡の主力選手として活躍できたのは、その時の経験が生かされているからだと冨安自身が語っている。バルセロナスクールで培った技術と戦術眼は、冨安の財産となったのである。
中学生からアビスパ福岡の下部組織に入団した冨安は、ジュニアユース時代の3学年全てでキャプテンを務めた。リーダーシップと実力を兼ね備えた逸材として、早くから注目を集めていたのである。中学3年生時には、飛び級でアビスパ福岡のトップチームの練習に参加するようになり、2015年5月19日、高校2年生ながらアビスパ福岡に2種登録された。そして同年10月の天皇杯3回戦のFC町田ゼルビア戦で、高校2年生の時に公式戦デビューを果たした。
Jリーグ入りから欧州挑戦への歴史
2016年、高校卒業を待たずに高校3年生の時、冨安はアビスパ福岡のトップチームに昇格した。2ndステージの第3節FC東京戦でボランチとしてプロデビューを果たすと、その後はディフェンスラインのレギュラーに定着した。188cmの長身を生かした空中戦の強さ、両足を器用に使いこなす技術、そして冷静な判断力。冨安は、若くして完成されたディフェンダーとしての資質を示していた。
2017年3月19日、J2第4節のロアッソ熊本戦でプロ入り初得点を記録。17歳でJリーグの公式戦に出場し、瞬く間に主力選手へと成長した冨安は、国内外のクラブから熱い視線を集めることになる。J1リーグの強豪クラブも獲得に興味を示していたが、冨安の視線は既に海外に向いていた。
2018年1月8日、冨安はベルギー1部のシント=トロイデンVVに移籍することが発表された。J1リーグの強豪クラブも獲得に興味を示していたが、強い海外志向により、億単位の移籍金を残して海外移籍することになった。わずか19歳での欧州挑戦である。多くの日本人選手が、まずはJ1リーグで実績を積んでから海外に挑戦する中、冨安はJ2からいきなり欧州に飛び出した。この決断が、冨安のキャリアを大きく変えることになる。
シント=トロイデンでの冨安は、すぐに頭角を現した。2018-19年シーズン、11月25日の第16節RSCアンデルレヒト戦では移籍後初得点を決めて勝利に貢献した。リーグ戦終了後には、クラブのサポーター団体「Spionkop Geel-Blauw」によるシーズン最優秀選手に選出された。19歳の日本人選手が、ベルギーリーグでシーズン最優秀選手に輝いたのである。この快挙は、冨安の才能を世界に知らしめることになった。
この活躍により、ドイツ1部のヴェルダー・ブレーメンが移籍金600万ユーロ(約8億円)でオファーを出したが、シント=トロイデン側は少なくとも移籍金1000万ユーロ(約13億円)を求めていた事もあり、オファーを断った。冨安の市場価値は、既に10億円を超えていたのである。
欧州での華麗なるステップアップ
ボローニャFC──イタリアでの開花
2019年7月9日、冨安はセリエA・ボローニャFCへの完全移籍が発表された。移籍金は12億円。背番号は「14」。ベルギーリーグからイタリア・セリエAへ。冨安のステップアップは、順調に進んでいた。8月25日、セリエA開幕戦のエラス・ヴェローナFC戦で右サイドバックとしてリーグ戦デビューを果たし、そのプレーに多くの称賛の声が上がった。
イタリアの名門紙ガゼッタ・デロ・スポルトは冨安を新星ベスト5に選出。英『トーク・スポーツ』が発表した「今季のヨーロッパのワンダーキッド トップ20」では、ジェイドン・サンチョやキリアン・エムバペが名を連ねる中、10位に選出された。冨安は、世界が注目する若手選手の一人となったのである。
9月12日、ボローニャは8月のクラブ月間MVPに、ロベルト・ソリアーノやリッカルド・オルソリーニを抑えて冨安が選出されたことを発表した。セリエAデビューからわずか1ヶ月で、冨安はチームの中心選手となっていた。
2020年7月18日、第34節ACミラン戦で左足のミドルシュートでセリエA初得点を記録した。シーズン通して右サイドバックやセンターバックとして先発出場を重ね、7月にはコリエレ・デロ・スポルト紙から「冨安は黄金の選手。シニシャ・ミハイロヴィチ監督にとってなくてはならない選手」と評価された。「黄金の選手」──この言葉は、冨安のボローニャでの活躍を象徴するものである。
シーズンオフにはACミランから正式に獲得に向けてのオファーが届いたが、ボローニャがこれを拒否し、冨安は残留することになった。しかし、冨安の次のステップは、すぐそこまで来ていた。
アーセナルFC──プレミアリーグの頂点へ
2021年8月31日、冨安はアーセナルFCに移籍することが公式発表された。移籍金は25.5億円。背番号は18番を着用する。イングランド・プレミアリーグの名門クラブへの移籍である。ベルギー1部リーグからイタリア・セリエA、そしてイングランド・プレミアリーグへ。冨安は、わずか3年で欧州サッカーの頂点に立ったのである。
同年9月11日、ノリッジ・シティ戦で先発起用されプレミアリーグデビューを果たした。10月8日、アーセナルに加入して9月の活躍が評価され、チームの月間最優秀選手に選出された。加入からわずか1ヶ月で月間最優秀選手に選出される──この快挙は、冨安の実力を証明するものであった。
それまではセンターバックが主戦場だったが、アーセナルでは右サイドバックでいきなり好パフォーマンスを見せてファンの心を掴んだ。センターバック、右サイドバック、左サイドバック、そしてボランチ。冨安は、複数のポジションをこなせる万能型ディフェンダーとして、アーセナルにとって欠かせない存在となった。
度重なる怪我の不幸──折れない心
しかし、アーセナルでの冨安のキャリアは、怪我との闘いの連続となった。シーズン終盤に負傷し、その後復帰した今季は左サイドバックとしてプレーしていた。2021年12月26日、新型コロナの検査で陽性反応となり、2022-23シーズンには右膝を手術した。2023年にはふくらはぎの怪我で13試合を欠場した。
冨安の最も頻繁な問題はふくらはぎの怪我であり、アーセナル加入後だけで3回を数えた。膝の問題も潜在的な懸念事項となり、冨安は怪我との闘いを強いられることになる。
2024年8月、冨安は右膝関節内視鏡手術(第1回)を実施した。手術は成功し、冨安は復帰に向けてリハビリを開始した。10月のサウサンプトン戦で復帰を果たし、ファンは冨安の復活を喜んだ。しかし、悲劇は突然訪れた。わずか6分で再離脱するという、信じられない出来事が起こったのである。
2025年2月、アーセナルは冨安が前年のプレシーズンで負った右膝の負傷の再発を発表し、軟骨や半月板の手術(第2回)を実施したことを公表した。2024-25シーズンの公式戦出場はわずか1試合のみに終わった。度重なる怪我により、冨安のアーセナルでのキャリアは、事実上終わりを告げることになる。
2025年7月4日、アーセナルは冨安健洋との契約を即時終了することで合意した。冨安はフリートランスファーとして移籍先を探す状況に追い込まれたのである。かつてはプレミアリーグの名門クラブで活躍し、日本代表の守備の要として世界中から注目を集めていた選手が、所属クラブを失ったのである。
しかし、冨安の心は折れなかった。2025年11月26日、トレーニングの様子を自身のインスタグラムに投稿し、「報告が遅くなってしまいましたが、数日前に右膝の手術を受け、既に復帰に向けてリハビリを開始しています!」とコメントした。「Step by step」として、復帰に向けて着実にトレーニングを続けている姿は、多くのファンに勇気を与えた。「日本優勝にあなたの力が必要」というファンからのメッセージに、冨安は黙々とリハビリで応えたのである。
日本代表として活躍した2022年W杯の振り返り
2022年カタールW杯は、冨安にとって忘れられない大会となった。7大会連続7度目のW杯出場となった日本。史上初のベスト8へ、「新しい景色」を見ることを目標にチームは準備をしてきた。しかし、W杯前に再び負傷し、状態が危惧されていた中、冨安は初戦のドイツ代表戦に途中出場した。
11月23日、グループE第1節のドイツ代表戦。日本は前半を0-1で折り返したが、後半から冨安が投入された。冨安の投入により、日本の守備は安定し、逆転勝利を収めた。ドイツ戦でのパス成功率は95.2%を記録し、「時間をつくることを意識」したプレーで日本の勝利に貢献した。
11月27日、グループE第2節のコスタリカ代表戦では、冨安は先発出場を見送られた。日本は0-1で敗れ、決勝トーナメント進出が危ぶまれる状況となった。
12月1日、グループE第3節のスペイン代表戦。後半途中から出場した冨安の守備が秀逸だった。右サイドのウイングバックに入り、DFアルバと相対した。冨安は右ウイングバックでスペインを完封し、日本は逆転勝利を収めた。日本代表はドイツ、スペインという大会優勝経験国に勝ってグループステージを1位突破し、2大会連続でノックアウトステージに進出した。
12月5日、ラウンド16のクロアチア代表戦。冨安はフル出場したが、日本はPK戦の末に敗退した。クロアチア戦後のインタビューで、冨安は涙を流し、悔しさを滲ませた。自身のパフォーマンスを「disaster(災害)」と厳しく評価し、「誇りに思えない」とコメントした。しかし、その後インスタグラムで「もっともっと強くなります!#応援ありがとうございました」と決意を新たにした。この言葉は、冨安の折れない心を象徴するものである。
無所属の孤独
2025年7月、アーセナルとの契約を解除した冨安は、無所属という孤独な日々を過ごすことになった。かつてはプレミアリーグの名門クラブで活躍し、日本代表の守備の要として世界中から注目を集めていた選手が、所属クラブを失ったのである。
アーセナルでは計84試合に出場したが、度重なる怪我により、2024-25シーズンの公式戦出場はわずか1試合のみに終わった。「負傷履歴は懸念材料だが」と報じられ、冨安の市場価値は大きく下がっていた。しかし、冨安はリハビリを続け、復帰に向けて着実にトレーニングを重ねた。
「いまを大事にする」というモットーを持つ冨安にとって、この無所属期間は、自分自身と向き合い、再び世界の舞台に立つための準備期間であったのかもしれない。GQ JAPANのインタビューで、冨安は自己評価を「40点(今後への期待も込めて)」と答えていた。完璧主義者の冨安は、常に自分に厳しく、更なる高みを目指していたのである。
無所属期間中、冨安は黙々とリハビリを続けた。2025年11月26日、トレーニングの様子を自身のインスタグラムに投稿し、「Step by step」として復帰に向けて着実にトレーニングを続けている姿を公開した。ファンからは「日本優勝にあなたの力が必要」というメッセージが寄せられ、冨安は黙々とリハビリで応えたのである。
2026年W杯に懸ける思い
2025年12月、冨安にとって光明が見えた。オランダの名門アヤックスと基本合意に達したというニュースである。オランダのメディア『Voetbal International』は、「トミヤスは、アヤックスの冬の新加入選手第一号となる見込みだ。クラブは27歳の日本人選手と短期契約で基本合意に達した」と報じた。
同メディアは、「トミヤスの故障歴を考えると、アヤックスにとって長期契約はリスクを伴う。日本代表として42キャップを誇る彼は現在順調に回復に向かっているが、完全なコンディションを取り戻すにはグループトレーニングと練習試合が必要だ。アヤックスはしばらく状況を注視しており、通常では獲得が難しいトミヤスの獲得は、またとないチャンスだと考えている」と伝えている。
「だからこそ、両社は短期契約で交渉を進めている。これによりアヤックスのリスクヘッジが可能になると同時に、日本代表がオランダ代表などと対戦するワールドカップに向けて、トミヤスには自身の知名度を再び高める機会が与えられる。シーズン終了後には、双方が更なる評価を行い、例えば1年間の契約延長など、パートナーシップを延長するかどうかを決定することになる」
アヤックスには、日本代表のチームメートでもあるDF板倉滉が今季から在籍している。冨安にとって、板倉との再会は心強いものとなるだろう。オランダメディア『nu』は、「アヤックスは、フリーエージェントのDFトミヤスを獲得し、サプライズを巻き起こすだろう。元アーセナル所属のトミヤスと6か月契約を結ぶ予定だ」と伝え、「トミヤスがアヤックスに移籍するのは驚きだ。彼はイングランド1部リーグのトップチームで長年活躍してきたDFだ」と評価した。
オランダリーグにとっては、大物の加入報道に現在は騒然としている。「アーセナルが2021年にボローニャに約2000万ユーロを支払って獲得したこの日本人選手は、ロンドンのクラブで計84試合に出場」したと報じられ、冨安の実績は高く評価されている。
2026年6月11日に開幕するW杯北中米大会で、日本代表入りするためには、新たな所属先で実戦に出場してコンディションを上げる必要がある。アヤックスでの6か月契約は、冨安にとって2026年W杯への切符を手にするための重要なステップである。
日本代表は2026年W杯のグループFに入り、オランダ、チュニジア、欧州プレーオフBの勝者と同組となった。初戦は6月15日午前5時(日本時間)、ダラスでオランダ代表と対戦する。第2戦は6月20日午前7時(日本時間)、モンテレイでチュニジア代表と対戦。第3戦は6月25日午前8時(日本時間)、モンテレイで欧州プレーオフBの勝者と対戦する。
冨安がアヤックスで実戦経験を積み、コンディションを取り戻すことができれば、日本代表の守備の要として再び世界の舞台に立つことができるだろう。森保一監督は、長期離脱中の冨安への厚い信頼を示しており、「彼は日本代表にとって欠かせない選手」とコメントしている。
冨安健洋の物語は、まだ終わっていない。幼少期の偶然の出会いから始まり、Jリーグでの飛躍、欧州での華麗なるステップアップ、度重なる怪我との闘い、2022年W杯での輝き、無所属の孤独を経て、今、再び世界の舞台に立とうとしている。「もっともっと強くなります!」という決意を胸に、冨安は2026年W杯に向けて歩み続けるのである。
アヤックスでの6か月契約は、冨安にとって再出発の場である。板倉滉との再会、オランダという新天地での挑戦、そして2026年W杯への道。冨安は、再び世界に自分の実力を証明する機会を手にしたのである。「いまを大事にする」というモットーを持つ冨安は、一歩一歩、確実に前に進んでいる。2026年6月15日、ダラスでオランダ代表と対戦する日本代表のディフェンスラインに、冨安健洋の姿があることを、多くのファンが願っている。
参考文献
- Yahoo!ニュース(スポニチアネックス)「冨安健洋の加入先にアヤックスが浮上 地元メディアで基本合意と報道 W杯までの6カ月契約か」https://news.yahoo.co.jp/articles/599f0cfdf439761ce01aeffac7de3c9a76243044
- Wikipedia「冨安健洋」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E5%AE%89%E5%81%A5%E6%B4%8B
- GQ JAPAN「サッカー日本代表の守備の要、冨安健洋『いまを大事にする、がモットーです』」https://www.gqjapan.jp/culture/article/20221121-takehiro-tomiyasu-hype
- SOCCER DIGEST Web「『短期契約で基本合意』無所属の冨安健洋が名門アヤックスに電撃加入と蘭報道!」https://news.yahoo.co.jp/articles/f202e1a20badfc861e12ba68f2207a4ca276f2a9
- ultra-soccer「『もっともっと強くなります!』敗退後に涙した冨安健洋、決意新たに」https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=432571
- 日刊スポーツ「【W杯】データで見る日本の大金星 冨安健洋パス成功率は95・2%」https://www.nikkansports.com/soccer/qatar2022/news/202211240000966.html
- サンスポ「冨安健洋、右ウイングバックでスペイン完封 2度の強豪食いに」https://www.sanspo.com/article/20221202-75ZW6PG5Y5HKNIKHXSS54U3C7U/
- Yahoo!ニュース「『負傷履歴は懸念材料だが』冨安健洋、怪我がちでも投資妙味」https://news.yahoo.co.jp/articles/ec8666f5e257006722b1d64c2561974fe971fc44

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