2025年12月18日、日本のサッカー界に衝撃が走った。名古屋グランパスが、新監督としてミハイロ・ペトロヴィッチの就任を正式発表したのだ。サンフレッチェ広島、浦和レッズ、北海道コンサドーレ札幌を率い、Jリーグに「ミシャ式」と呼ばれる攻撃的サッカーを根付かせた名将の、1年間の休養を経ての現場復帰。しかも、その新天地が、長谷川健太前監督の下で堅守を武器としてきた名古屋グランパスであるという事実は、多くのファン・サポーターに驚きと期待、そして一抹の不安を抱かせた。
J1通算勝利数247勝は、西野朗(270勝)、長谷川健太(267勝)に次ぐ歴代3位であり、外国人監督としては最多記録。その実績は誰もが認めるところだ。しかし、彼のサッカーは常にリスクと隣り合わせであり、時に「ミシャの呪縛」とまで揶揄されるほどの諸刃の剣でもある。なぜ名古屋は、これまでのスタイルを180度転換させる可能性のある劇薬を選んだのか。そして、68歳の名将は、新たな挑戦の地で何を成し遂げようとしているのか。
この記事では、ペトロヴィッチ監督のサッカー哲学の根源である旧ユーゴスラビアの血脈、師イビチャ・オシムとの絆、そしてJリーグで刻んできた18年間の軌跡を辿りながら、彼が名古屋グランパス、ひいては日本サッカー界にもたらすであろう未来を深掘りしていく。
第1章:ミシャ・サッカーとは何か? – 魅惑の攻撃哲学と、人々を惹きつける理由
ミハイロ・ペトロヴィッチのサッカーを語る上で欠かせないのが、「ミシャ式」と称される独特の戦術システムだ。基本フォーメーションは3-4-2-1。しかし、その数字の並びだけでは、彼のサッカーの本質を捉えることはできない。
最大の特徴は、ボールを保持し、リスクを冒してでも徹底的に攻撃を志向するその姿勢にある。守備的なポジションの選手であっても、積極的に攻撃参加することが求められ、両ウイングバックは実質的にウイングのように振る舞う。前線の3人(1トップ+2シャドー)と合わせて、攻撃時には5トップに近い形となり、相手ゴールに波状攻撃を仕掛けるのだ。
このスタイルは、観る者を魅了するスペクタクルなサッカーを生み出す一方で、後方に広大なスペースを晒すという致命的なリスクを常に内包している。事実、浦和レッズ時代には、圧倒的な攻撃力でステージ優勝を果たしながらも、カウンターから失点を重ねて年間タイトルを逃すという経験を繰り返した。これが「ミシャの呪縛」と呼ばれる所以である。
それでもなお、Jリーグのクラブが彼にオファーを出し続けるのはなぜか。それは、J1通算247勝という圧倒的な実績もさることながら、彼のサッカーが持つ抗いがたい魅力と、チームを劇的に変革させる手腕にある。
「魅力ある良いサッカーを追求し、常に勝利を目指して、クラブとともに全力を尽くしていきます」 (名古屋グランパス就任時のコメントより)
彼の言葉通り、そのサッカーは常に「魅力」と「勝利」の両立を目指す。たとえタイトルに手が届かなくとも、彼のチームが見せる情熱的なフットボールは、多くのサポーターの心を掴んで離さない。そして、若手選手を積極的に登用し、その才能を開花させる手腕にも定評がある。広島時代の槙野智章や森脇良太、浦和時代の関根貴大、そして札幌時代のチャナティップや菅大輝など、彼の指導の下で飛躍を遂げた選手は数知れない。
クラブに哲学を植え付け、選手を育て、サポーターを熱狂させる。ミハイロ・ペトロヴィッチは、単なる勝利請負人ではない。クラブの文化そのものを創造する「アーキテクト(設計者)」なのである。
第2章:ミシャのルーツ – 旧ユーゴスラビアの血脈と「東欧のブラジル」のDNA
ペトロヴィッチのサッカー哲学を理解するためには、彼のルーツである旧ユーゴスラビアのサッカー文化に触れないわけにはいかない。
セルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなど、多くの民族が混在した多民族国家ユーゴスラビアは、その多様性ゆえに、サッカーにおいても「東欧のブラジル」と称されるほどの独創的でテクニカルな選手を数多く輩出してきた。ドラガン・ストイコビッチやデヤン・サビチェビッチ、ロベルト・プロシネツキといった「ピクシー(妖精)」たちは、その華麗なテクニックで世界中のファンを魅了した。
彼らのサッカーは、規律や組織よりも、個人の創造性や即興性を重んじる。それは、ペトロヴィッチのサッカーにも色濃く受け継がれている。彼のシステムは一見複雑だが、その根底にあるのは、選手一人ひとりの判断とアイデアを尊重し、ピッチ上で自由に表現させるという思想だ。
ペトロヴィッチ自身も、現役時代はレッドスター・ベオグラードやディナモ・ザグレブといった名門クラブで活躍したMFだった。ユーゴスラビア代表としてもプレーし、その創造性あふれるプレースタイルでファンを沸かせた。その後、オーストリアのシュトゥルム・グラーツに移籍し、引退後は同クラブで指導者の道を歩み始める。
このオーストリアでの経験が、彼のキャリアにおける大きな転機となる。ここで彼は、生涯の師と仰ぐことになる一人の指導者と出会うのだ。
第3章:師オシムとの邂逅 – 「考えさせる」サッカーの継承
その男の名は、イビチャ・オシム。後にジェフユナイテッド千葉や日本代表を率い、日本サッカーに「考えて走るサッカー」という革命をもたらした知将である。
1996年、ペトロヴィッチはシュトゥルム・グラーツでオシムのアシスタントコーチに就任する。ここで彼は、オシムの指導哲学を間近で学び、その薫陶を深く受けた。「オシムの腹心」と呼ばれた彼は、師と共にシュトゥルム・グラーツを2度のリーグ優勝に導き、指導者としての名声を確立していく。
オシムのサッカーは、選手に答えを与えるのではなく、問いを投げかけ、自ら考えさせることを基本とする。ペトロヴィッチもまた、その哲学を忠実に受け継いでいる。彼の練習は、常に高いインテンシティと判断力が求められ、選手たちは頭と体をフル回転させることを強いられる。しかし、その厳しい要求の根底には、選手への深い愛情と信頼があることを、選手たちは知っている。
「オシムが威厳をもってチームをマネジメントする人物だとしたら、ペトロヴィッチは慈愛だ。裏表がない父の愛情だ。まっすぐに正直に、選手と向かい合って、愛を注ぎ込む。時には厳しさを突きつけ、時には優しさをもって選手を抱きしめる。だから、彼は愛される」 (REAL SPORTS記事より)
この「父性」とも言える指導スタイルこそが、ペトロヴィッチが率いるチームに強い一体感と、監督のために戦うという献身的な姿勢をもたらす源泉なのだ。
第4章:Jリーグでの18年間 – 3つのクラブで刻んだ栄光と苦悩
2006年、ペトロヴィッチはサンフレッチェ広島の監督として、日本でのキャリアをスタートさせる。当時、J2降格の危機に瀕していたクラブを立て直し、翌年にはJ1昇格へと導いた。そして、独自の3-4-2-1システムを完成させ、広島をJリーグ屈指の攻撃的チームへと変貌させた。この広島での成功が、彼のJリーグでの評価を不動のものとした。
2012年には浦和レッズの監督に就任。豊富な資金力を持つビッグクラブで、彼は自らのサッカーをさらに昇華させようと試みる。圧倒的な攻撃力で2度のステージ優勝を果たすなど、その手腕を遺憾なく発揮したが、あと一歩のところで年間タイトルには手が届かなかった。攻撃的であるがゆえの守備の脆さが、重要な局面で露呈する。「ミシャの呪縛」は、彼自身、そしてクラブにとっても、長く苦しい戦いであった。
2018年、新天地として選んだのは北海道コンサドーレ札幌。戦力的に恵まれているとは言えないクラブで、彼は再びその手腕を発揮する。限られた戦力の中で、選手たちの能力を最大限に引き出し、クラブ史上最高位となるJ1・4位へと導いた。札幌での成功は、彼の指導者としての柔軟性と適応能力の高さを改めて証明するものとなった。
広島、浦和、札幌。異なる文化と規模を持つ3つのクラブで、彼は常に自らの哲学を貫き、攻撃的で魅力的なサッカーを追求し続けた。その18年間の軌跡は、まさに栄光と苦悩の連続であったと言えるだろう。
J1監督通算勝利数ランキング(2025シーズン終了時点)
| 順位 | 監督名 | 勝利数 | 主な指揮クラブ |
| 1位 | 西野 朗 | 270勝 | G大阪、柏、神戸、名古屋 |
| 2位 | 長谷川 健太 | 267勝 | 清水、G大阪、FC東京、名古屋 |
| 3位 | ミハイロ・ペトロヴィッチ | 247勝 | 広島、浦和、札幌 |
第5章:なぜ名古屋はミシャを選んだのか? – 堅守からの脱却と未来への投資
長谷川健太監督の下、4年間にわたって堅守速攻をチームのアイデンティティとしてきた名古屋グランパスが、なぜペトロヴィッチを後任に選んだのか。この決断は、多くの人々にとって驚きであった。
その背景には、クラブが目指す未来の姿がある。堅守速攻は、確かに安定した成績を残す上では有効な戦術だ。しかし、それだけでは、クラブが目標として掲げる「常に優勝を争い、ACLで戦う」チームにはなれない。より主体的で、魅力的なサッカーを展開し、アジアの舞台でも勝ち抜けるだけの攻撃力を身につける必要がある。そのための「劇薬」として、ペトロヴィッチに白羽の矢が立ったのだ。
彼の就任は、単なる監督交代以上の意味を持つ。それは、クラブの哲学そのものを変えるという、壮大な挑戦の始まりを意味する。もちろん、その道が平坦でないことは、誰もが理解している。長年培われてきた堅守の文化から、攻撃的なポゼッションサッカーへと移行するには、時間も忍耐も必要だろう。開幕からすぐに結果が出るとは限らない。むしろ、序盤は苦戦を強いられる可能性すらある。
しかし、名古屋グランパスは、そのリスクを承知の上で、未来への投資としてペトロヴィッチを選んだ。彼の持つ経験、哲学、そして若手を育てる手腕が、クラブを新たなステージへと導いてくれると信じているからだ。
第6章:赤き情熱は、名古屋をどう染めるのか?
ミハイロ・ペトロヴィッチのサッカーは、常に情熱と共にあった。彼のチームは、まるで監督の分身であるかのように、ピッチ上で激しく、そして熱く戦う。
1年間の休養を経て、その情熱が衰えるどころか、さらに燃え盛っていることは、彼の就任コメントからも明らかだ。68歳という年齢は、サッカー監督としては決して若くはない。しかし、彼の心の中にある炎は、今もなお、勝利への渇望と、サッカーへの純粋な愛情で赤く燃えている。
その赤き情熱は、果たして名古屋グランパスをどのように染め上げるのか。堅守の砦に、攻撃という新たな武器はもたらされるのか。そして、「ミシャの呪縛」は、この新天地で解き放たれるのか。
2026年シーズンのJリーグ。その中心に、ミハイロ・ペトロヴィッチと名古屋グランパスがいることは間違いない。彼らの挑戦から、目が離せない。
参考文献
•名古屋グランパス公式サイト. (2025, December 18). ミハイロ ペトロヴィッチ氏、監督就任のお知らせ. https://nagoya-grampus.jp/news/pressrelease/2025/1218post-2612.php
•REAL SPORTS. (2020, April 20 ). ミシャ来日の知られざる情熱と決断 「オシムの腹心」はなぜ広島で“奇跡”を起こせたのか. https://real-sports.jp/page/articles/382007534489175265/
•Soccer Digest Web. (Date Unknown ). 【J1勝利数ランキングTOP10|日本人監督編】断トツの1位は…. https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=73793
•Sportiva. (2021, February 16 ). Jリーグを盛り上げてきた旧ユーゴ系監督。全員、記者会見が強烈だ. https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2021/02/16/post_37/
第7章:ユーゴスラビアの血脈とJリーグ – オシム、ピクシー、そしてミシャ
ペトロヴィッチの成功は、彼一人のものではない 。彼の背後には、Jリーグに多大な影響を与えてきた旧ユーゴスラビア出身指導者の系譜が存在する。その筆頭は、言うまでもなくイビチャ・オシムである。
オシムがジェフ千葉にもたらした「考えて走るサッカー」は、当時のJリーグに衝撃を与えた。選手個々の判断力を最大限に引き出し、ピッチ上で有機的なコレクティブを形成するそのスタイルは、多くの指導者に影響を与えた。ペトロヴィッチもまた、その最も忠実な弟子の一人だ。
そして、名古屋グランパスのレジェンドであり、後に監督としてクラブをJ1初優勝に導いたドラガン・ストイコビッチ(ピクシー)も、この系譜に連なる一人である。オシムが率いた1990年イタリアW杯のユーゴスラビア代表で中心選手だったピクシーは、その華麗なテクニックとカリスマ性でチームを牽引した。彼のサッカーもまた、個の創造性を重視するユーゴスラビアのDNAを色濃く反映していた。
オシムが「理論」と「哲学」で日本サッカーの頭脳を刺激したとすれば、ピクシーは「天才」と「情熱」でファンの心を鷲掴みにした。そしてペトロヴィッチは、その両方を併せ持ちながら、「父性」と「愛情」をもってチームを包み込む。厳格な哲学を説きながらも、選手一人ひとりと真摯に向き合い、その成長を心から願う。この人間的魅力こそが、彼が率いるチームに強い結束力をもたらす最大の要因であろう。
彼ら旧ユーゴスラビアの指導者たちは、一様に記者会見での言葉が巧みで、示唆に富んでいることでも知られる。それは、自らのサッカーを言語化し、哲学として選手やサポーターに伝える能力に長けていることの証左でもある。なぜその練習をするのか、なぜその戦術を選ぶのか。その背景にある思想を明確に語ることで、彼らはチームに確固たるアイデンティティを植え付けてきたのだ。
第8章:名古屋グランパスの「ミシャ式」適応への道
ペトロヴィッチの監督就任は、名古屋グランパスにとって大きな賭けである。長谷川健太監督が築き上げた堅守速攻のスタイルは、2021年のルヴァンカップ優勝など、クラブに確かな成功をもたらした。その成功体験を持つチームが、全く異なる哲学を持つ「ミシャ式」にスムーズに適応できるのか。そこにはいくつかの課題が存在する。
第一に、選手たちの意識改革だ。守備ブロックを固め、カウンターを狙うサッカーから、ボールを保持し、リスクを冒してでも攻め込むサッカーへの転換は、思考の180度の転換を要求する。特にディフェンスラインの選手は、これまで経験したことのない高い位置でのプレーや、ビルドアップへの関与を求められることになるだろう。
第二に、戦術的浸透の時間である。「ミシャ式」は複雑で、一朝一夕に身につくものではない。選手間の距離感、パスを出すタイミング、動き出す角度など、阿吽の呼吸が求められるプレーの連続であり、チーム全体でそのイメージを共有するには相当な時間を要する。シーズン序盤は、戦術が浸透しきらない中で、カウンターから失点を重ねる苦しい展開も予想される。
しかし、期待も大きい。名古屋の現有戦力には、「ミシャ式」で輝きを放つ可能性を秘めた選手が揃っている。例えば、中盤の稲垣祥や米本拓司といったボール奪取能力に長けた選手は、高い位置でのプレッシングで重要な役割を担うだろう。また、マテウス・カストロや永井謙佑といったスピードと突破力を持つアタッカーは、ミシャ式が最も得意とするシャドーのポジションで、その能力を最大限に発揮する可能性がある。
ペトロヴィッチの就任は、名古屋グランパスにとって、単なる戦術変更ではない。それは、クラブが未来のために選んだ「進化」への道である。その道のりが険しいものであったとしても、その先にある景色が、これまで見たことのないほど美しいものであることを、クラブもサポーターも信じている。

コメント